Salt spring vitalkitchenのブログ Earth Family

スピリチュアルアイランド ソルトプリング島でのオーガニックと地球に優しい暮らし

旧暦新年明けましておめでとうございます



今年のブログの更新は旧暦新年の2月10日より


長男さらまくんの誕生日でもありめでたい日です。
彼はもう14歳になりまして、思春期始まったのかな。               時々 一人で生きていける!みたいな生意気発言もしたり、成長の証ですがね。
明後日の12日は次男のんちゃん誕生日で12歳
のんちゃん生後6ケ月でカナダに越してきたので、はや12年になるのにもビックリ。


これまでに様々な出会いや別れがあって、
息子達もたくさんの人生の先輩から刺激と影響を受けて育ってくれたと思います。
そんな昨年は大好きな友人がたくさん亡くなられてしまい悲しみに暮れた年でした。


人生の大師匠のひさおさん まだまだ元気な83歳!!


最初に住んでいたKamloopsの公園にて 2人が入れる程小さいかったのにねー

浴衣の似合うのんちゃん もう12歳とは!


太陽暦始まりの新年早々には、よりにもよってのお正月に能登半島地震が起こり、
以前島に住んでいた友人家族が震源地の石川県珠洲市に引っ越していたのもあり
生きていて欲しいと、毎日祈りながらも、
安否確認の連絡が取れない日々
幸いにも命は助かったと分かりましたが、家屋は全壊してしまいました。
自治体、ボランティア団体が必死の救助活動をされておられたので
支援活動の足しになれば、と 寄付をさせて貰いました。
珠洲市の友人からの連絡で、
いくつかの信頼できそうな団体を紹介して貰ったので。
現在は、
被災者の今いる避難所から二次避難場所としてホテルや貸家に移動する為の支援に、被災者さんへの住宅、宿泊施設等への避難受け入れ支援、被災者への避難一時金の支給
避難のための移動手段の提供等の寄付を呼びかけています。


こちら↓

後こちらのNGO団体さんは、

道路が陥没して救助できなかった時に船からの救助活動をいち早くされた団体です。
その他にも志願して炊き出し、撤去作業ボランティア等みなさん全国各地から駆けつけてくれているのが有難いです。

【映像記録】同行カメラマンが証言「地面が軋むほどの揺れ」(令和6年能登半島地震)


日本は地震大国でもあり阪神大震災の経験もあるので、みなさん動きが早いし分かってはるので人の思いと、動き方 マンパワーに感動しています。


さて、こちらソルトスプリング島では、今年初の大雪に あいついで凍結や水道管破裂に停電が起こり、我が家も水道管パイプ凍結により12日間も断水が起こりました。


最初は雪降ったーと喜び スキーしたり、ソリしたり。。


ところがその後気温が上がらず毎日マイナスへ。


みんなで凍りついたパイプを掘り出しています

  雪が溶けるまで作業できず。。。ひたすら掘っていく。


暖かい家はあって、もちろん、被災地の辛さには足元にも及びませんが、
毎日雪を掬い、鍋いっぱいにストーブで水にして生活用水にしていました。


家族総出で、水汲みタンク運びに出かけたり(雪で道が通れなくて家から出れない日も何日もあり買い物にも出れず。食料は飲食業のお陰で冷凍物ストックと、
1週間に1回の野菜配達業者のお陰で食べるには困りませんでしたが。
とにかく水がないと何もできない、とゆう日々を過ごして被災地の方と、
多少なりとも共感できる部分があったので
(お風呂に入れない、トイレ流せない、洗い物できない、洗濯できないとか)
とにかく水に頼りきった生活をしてたのを感じました。


被災地能登ではまだ余震も起こっており、
寒さ、寝不足、精神的にお疲れのことと思います。
どうか、被災された皆様が屋根のある家で暖かく眠れますように。
安全にご無事でありますよう祈っています。

不思議 アイヌとの繋がり in Canada



前回2022年暮れから-2023冬の日本帰国時に
キャンピングカーで北海道を周ってきました。
主にアイヌの集落(コタン) を巡る旅をしたのですが、
阿寒湖アイヌコタンを訪れた時にふらっと入ったお土産さんで
経営してはる長老さんとお話しをしていたら、我が家がカナダから来たとゆう話になり、
実はカナダとアイヌって繋がりあるんよっという話を聞きまして‼️
よりにもよって、自分達が今住んでいるカナダの
ブリティッシュコロンビア州バーナビーという町と
アイヌコタンのある釧路市が
姉妹都市なんだよと。
この記事↓



1970年代よりカナダのファーストネイションの方と、アイヌの方が
交換留学ならぬ、行き来していた写真をいくつか見せていただきました。
そこの繋がりだけでもビックリなのに、阿寒湖コタンの中央に建つトーテムポールが
バーナビーに向かい立ち並んでいて、
バーナビーにあるトーテムポールが
阿寒湖の方角に向かい立てられた物だった、という。


こっち☞西の方角☞っていうてます。




実はカナダと北海道アイヌとは深い繋がりがあったんです。
遡ること
1963年に緯度,経度,共にほぼ同じ。形と規模も似ているという理由から
バーナビー市長から釧路市へ
姉妹都市の提案があり
以来友好関係が築かれているそうです。
25周年経った時にはバーナビーに記念の公園が建てられ
カムイミンタラパークという名前で建立されています。
そこで先日そのバーナビーの公園へ行ってきました。
アイヌ語で
カムイ(神様
ミンタラ(遊び場
という意味があります。


トーテムポールは木彫り作家のトコさんと息子さんがわずか1年程滞在した時に建てた物なので、見た目はそんなに
立派ではないのですが、
アイヌの方々がこの場所に来てトーテムポールを建てていったという事実を知り
凄く感慨深いものがありました。
しかもこんな近くにって。
何せゴールデンカムイが流行る前からの
アイヌ文化好きだったにも関わらず、
11年カナダに住んでいても気付いていなくて、
逆に今回の北海道滞在で知った事だったので逆輸入というか本当に驚きです。
廻りて巡る何とやら。。。
灯台下暗し。。。とか言葉が浮かんできちゃいました。
もし、どちらかを訪れる機会があったらぜひこの友好の印を見てみてください。

パレスチナの男の子のラッパーMC Abdulくん


9歳でラップと歌の作詞を始めたAbdulくん
彼のラップは流暢な英語で反戦と平和への明確なメッセージが込められている。
爆撃でこわされた建物が背景に映っていて、見ていてとても生々しいが、
彼は、ガザからこのリアルを伝えたい、と
音楽でメッセージを伝える事を選択した。



MC Abdulくん 現在15歳
海外では彼のYou tube再生数も注目浴びていますが、残念ながら
日本語での彼の記事が見つからなかったので、
是非注目してシェアして下さい。


この時のラップはわずか12歳とは驚き ↓



MC Abdul - Shouting At The Wall (Official Video)


「Shouting  at the wall 」
壁に向かって叫ぶ
この曲
聞いてみてざっくり翻訳した感じでは


疲れ果てているよ。
爆弾の音がひどくて昨日の夜も全然眠れなかった。
お父さんがパンを手に入れる為に命の危険を犯して外出しているよ。
建物が爆発で揺れる度に
弟を守る為に部屋の隅っこに隠れているよ。
僕は国民の自由を望んでいます。
200万人の囚人がこの場所に住んでいて
壁に向かって叫んでも何も変わらない
それが占領下で生きる人生だ。
夜に飛んできた爆弾によって
妹は眠れず泣いていた。
だから僕は花火だと言ったので僕は妹に嘘をついていました。
マイクは可能な唯一の脱出方法です。
なぜなら、それが私の考えを話す方法だからです。



彼のインタビューも見たけれど当時12歳の割に本当にしっかりしていて
常に死と向き合いながらもラップをリリックノートに書き溜めているそう。
英語でラップをする理由も英語だと世界中の人に自分のメッセージが伝わりやすいし、
ラップを始めた理由も音楽からこの現状が世界中に伝わって欲しいという理由からだそう。



昨今の日本のデイスりあいのラップや、ゴールドチェーンつけてブリンブリン
と違って幼い彼のリアルライフは、爆発音に瓦礫とシーツに包まれた死体、
これが生きているんだってゆう証なんだとばかりに
力強い反戦へのメッセージを発信しています。


彼のインスタ
最近の情報アップデートされていますよ。



遡る事🇵🇸パレスチナラップが認知度を得たのは、
1999年に結成されたパレスチナ初のラップグループ
DAMとゆうグループが初めて
メンバーはイスラエルのパレスチナ地区に住むアラブ人。
彼らは公共の場では努めてアラビックを話さず
ふだんはイスラエルの公用語であるヘブライ語を話し、ラップでは英語と
アラビックを織り混ぜたオリジナルスタイルで、
リリックは主にイスラエルによる占領、抑圧、差別との闘い、貧困、麻薬、女性の権利などをテーマとしており、日本でも映画が公開されたので
予告がありました。↓



映画「自由と壁とヒップホップ」ダイジェスト版



彼らの影響を受け、現在パレスチナンラップのサイフアーが
見られます。みんな本当にシリアスですが力強く生きています。




راب شارع فلسطين 🇵🇸 ( ارض كنعان ، انا فلسطيني ، اوتشا )